或る夜の仮初め

アルカリ

悪い感性に毒されるのはよくない。

 

悪い感性ってのは、まあ平たく言えば悪口がぽんぼん思いつくような感性のことです。

 

要は悪口言いたくないよねって話です。

 

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悪口が浮かぶ思考回路

何かを見たときにまず最初に嫌なところが目について、それに囚われてグチグチ文句を言うのは一般的によくないです。

それでもやる人が尽きないのはそれ以外にすることがないのと、自分の考えと同じことを言ってくれる人との同調・仲間意識と、あとは自分が頑張って何かを(もしかしたら挫折もしつつ)達成して評価されるよりも、自分よりちょっと何かをやっている人の足を引っ張ってこき下ろす方が楽だからです。

人間は楽な方に流れます。自分を見ていて思う。

 

 

悪口と愚痴は違う

どちらもしないに越したことはないですが、愚痴の方がまだマシかもしれないです。愚痴を言うような環境というのは、それが仕方のないことにせよ、何某かによって煩わされている状況だと思われるからです。まあそれにしてもどうにか打開策を講じるといいんですが、お金の問題とかありますからね。知らんけど。

悪口は違います。そのことを考えずとも普通に生きていけるのに、自分から石の裏にびっしりついたダンゴムシを見に行っておいて「気持ち悪い!」と言っているようなものだからです。暇人でしかない上、相手がどんなに最悪にせよ、人様に石投げまくってる時点で似たり寄ったりです。

 

体験談です

わりと前から上記のような考えを持ってはいたんですが、最近は疲れ&いろいろな縛りから結構悪口を言っていました。対象は主にネット上の仮想敵。実際に口に出してはいないにせよ、そういう悪口が飛び交う場に自ら見に行って「おっ、同じこと考えてる人がいるな、よしよし」と一緒になって笑ってました。

でもそうしていると、次第に自分の感性が歪んでいくのがわかるんですよね。相手の良いところを認められなくなってきたり、悪いところだってそんなに悪いわけでも実際に迷惑をかけられたわけでもないのに過敏になってきたりして、嫌な人間になっているな、と思ってやめました。

 

やめ方は簡単で、好きなことをする時間を増やしました。エイヤッと思い切らないと好きなこととはいえ始められないことが多いんですけど、それらのハードルを下げてみました。近ごろはまたいい感じです。

 

あと、悪口を考えられる感性があると、そのうち自分自身のことも同じような目で見るようになるので、自己肯定感的にもよくないです。「〇〇やるなんてダサい。失敗するくらいならやらない方がいい」という思考回路は自分の可能性をぷちぷち潰します。

 

悪口はコスパが悪いです

楽しいことしてたほうが楽しいね。当たり前なんだけど忘れてた。私は結構勉強が好き。